« 人工知能(じんこうちのう) | メイン | 初期資本主義では »

大日本帝国の貢献と脱退まで

大日本帝国(以下日本)は脱退まで常任理事国であり、国際連盟事務局次長には新渡戸稲造が選ばれるなど、日本は中核的役割を担っていた。 日本はヨーロッパから離れていたためにヨーロッパ諸国間の紛争に比較的利害を持っていなかったことから、概ねヨーロッパの紛争(ギリシア等)に対しては公平な第三者として調停を行うことができたと評価される。ちなみに国際連盟に日本が加入した当時の内閣総理大臣は原敬であった。
学力向上!漢字王国
白い花の花言葉
北の国・北海道マップ
暮らしの知恵袋
ラファエロのタレントになる学校選び
ハンズの野球のツボ
マーメイドの地図探し
ゆかいな塾の先生
炎神でアニメソングメドレー追跡
懸賞の秘密ちゃんねる
健康一番玉手箱
Carタイムへ急げ
芸能界デビューのチャンス
ひだまりの湘南ビーチ
奥様ご用達ご当地グルメ
仕事探しはここからスタート
初心者の投資問題解決!
姉妹の温泉三昧
フラッシュのオーディション参加
省エネルギーのコツを紹介
生活費の節約法
ドライブ計画サポートスペシャル

柳条湖事件を契機に日本が満州全土を制圧すると(満州事変)、清朝最後の皇帝・溥儀を執政にする満州国を建国した。これに抗議する中国(中華民国)は国連に提訴。国連ではイギリスのヴィクター・リットン卿を団長にするリットン調査団を派遣する。リットンは日本の満州における特殊権益は認めたが、満州事変は正当防衛には当たらず、形だけでも満州を中国に返すように報告書に記した。

1933年2月24日、国際連盟特別総会においてリットン報告書(対日勧告案)が採決され、賛成42、反対1(日本)、棄権1(シャム=タイ)の賛成多数で可決された。可決直後、席上で松岡洋右日本全権は「もはや日本政府は連盟と協力する努力の限界に達した」と表明し、その場を退席した。

その後、同年3月27日、日本は正式に国際連盟に脱退を表明し、同時に脱退に関する詔書が発布された(なお、脱退の正式発効は、2年後の1935年3月27日)。以後、日本は日独伊三国軍事同盟や日ソ中立条約などを結び、第二次世界大戦への道を進むことになる。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.nmypwc.biz/blog/mt-tb.cgi/1170

About

2009年06月29日 21:26に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「人工知能(じんこうちのう)」です。

次の投稿は「初期資本主義では」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35